2012年4月17日火曜日

あがり症からの解放・自分を飾るのをやめてごらんなさい


あがり症を治す根本

あがり症になるその根底の原因は、二つにしぼられると思っていいでしょう。
一つは、成長過程で親とか先生とかのまわりの大人から、「そんな言い方をしちゃダメでしょう」「もっとはっきり言いなさい」などとガミガミ言われて育った場合に、自分の話すこととか話し方についての不安、恐れが無意識の世界に蓄積された場合です。
話し方に限らず不当にきびしい躾で育てられた場合も、生きることそのものへの不安、恐れを心の底に抱え込み、大きくなってから対人恐怖という症状を現し、極度のあがり症になると思われます。

どもりという症状も成長過程でのまわりの大人との軋轢で起こると言えるでしょう。小さい時に父や母などから押さえつけられることへの恐怖心と、 それに対する反抗心との入り混じった姿が、どもりという症状になって現われるのでしょう。
自由に伸び伸びとものが言えない思いと、「なにくそ」という反発の思いが、ちょうどどもりの姿に似ています。

もう一つのあがり症の原因は自分を自分以上に人に見てもらいたいという心です。その結果見せかけだけをよくしようと思ったり、 体裁を取りつくろうとしたり、あるいは「人にどう思われるか」といった取り越し苦労や虚栄心にとらわれて、自分で自分を縛っているのです。


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人間の本来は、伸びやかで自由でくったくのない存在なのに、心にくっつけたアカみたいなもので、心が萎縮しているのがあがり症の本体です。
私たちは心のなかに恐怖心や不安を抱くと、生命が萎縮します。生命力がちじこまってしまうと、胃や心臓や肺などに支障をきたし、行動や表情や態度や話すことがのびやかに表わせなくなります。
あがり症を治すということは、この心にくっつけたアカを取り除くということに他なりません


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あがり症をさらに複雑にしている原因に心の習慣性があります。先に述べた原因であがり症が起きると、一度や二度の失敗で「次もあがるんじゃないだろうか」という不安が生じ、不安があがり症を誘発し「私はあがる」という固定観念を持つに至ります。
それは自分の奥底の心が正しくない自分の心のありようを知っていて、またあがるということを察知しているからとも言えます。

またあがり症が治ったようでも、心の片隅で「いいとこ見せよう」などと間違った心を起こすとあがったりします。「あァまだダメだ」と思いますが、ダメなのは自分そのものではなく、間違った心を起したことがダメなのであって、決してあがり症が治っている治っていないの問題ではないのです。誰でも、いかなる経験者でも慣れない場で� ��心を起せばあがるのです。
あがるのは本来の自分ではなく、欲心を起している自分なのです。ここのところが非常に大切です。

成長過程で話すことに抑圧を受けたことが原因で、あがり症やどもりの症状を起こすようになった人も、自分の心をよくよくつきつめますと、原因は何であれ「自分をよく見せたい」という思いに至ります。反抗や不安から我の心が張っているのです。
私たちは、自分の"見せかけの姿"だけをよくしようという間違った心を捨てて、"ありのまま"を憶さず出して生きるようにすると、心の歪みが消え自然と伸び伸びと話す自分を取り戻します


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もともとあがり症やどもりなどの症状を持つ人は、心が純真なのです。自分の心の間違いに素直に反応しているのです。あがり症ではない人の中には自分の心の歪みに鈍感なために、 それを正さんとする心がまだまだ心の深くに閉じ込められているとも言えるのではないかと思います。
あがり症は自分を人として、一層高く、正しく表わそうとする働きなのではないでしょうか。自分を飾ることをやめることこそ、正しい自分の姿であり、あがり症を治す根本です

言葉の力であがり症から脱却

あがり症に限らず何事でも心の中で繰り返し思い描くところのものは深く潜在意識に印象されて、次第に抜き難きものになってきます。
初めのうちはさして大きな欠点でもなかったものを、常に「私はダメだ」「私はダメだ」「私はあがる」「私はあがり症だ」と 言っていますと、その次にはいっそうヘマをするようになります。それが言葉の力です。その言葉の力で心が習慣づけられ、欠点なり症状なりが固定化されていきます。

この悪習慣から脱却するには反対の事柄を心に強く思念する必要があります。 「私はあがり症だ」と思う代わりに「私は落ち着いて話せる」と常に自分の心に言いきかせるように言っていると、その繰り返しの言葉の力で次第に潜在意識に浸透すれば状況が変化してきます。
私たちが誤って毒薬を飲んだならば、それを中和する反対の性質を持った薬剤を飲むのと 同じです。欠点の観念を打ち消すためには、反対の観念を入れるのです。


あがり症の根本には、「自分をよく見せたい」「人に評価されたい」「失敗したくない」という自分を飾る心が横たわっていますから、「私は落ち着いて話せる」に加えて「私は無欲だ。だから落ち着いて話せる」 というように心のあり方まで言葉で誘導すればいっそう効果が高くなります。

仮面の自分


今生きている自分、生活している自分が本当の自分でしょうか。それは本当の自分と思いこんでいるだけなのかも知れません。
私たちは生まれてから今日までさまざまな体験をします。特に幼児期には心の根底に深く刻み込まれる体験を繰り返しています。そうした体験の中で、恐れ、不安、特に親から愛されない思いなどは、自分の心に被いをして心の闇として閉ざしてしまいます。私たちは自分の弱点や醜さ、心の傷ついている部分も なるべく思い出さないように閉ざします。そして何事もなかったかのような顔をして日常を生きていきます。

人づき合いが苦手で、人に対して心からの親しみを感じない人は、丁寧な言葉を使ったり、慇懃無礼な物腰を身につけたりして、自分の本心を隠します。無力感で心に満たされた思いや自信のない人は、他の人に対して攻撃的になったり、支配的になったりして自分を誇示しようとします。
これらの行為や態度は 自分をもあざむく仮面の自分なのです。

特に心の触れたくない部分に関わる出来事からは、自分を守るために自己防衛を働かせます。本当は弱くて淋しいのに、いつも冷静でしっかり者の自分を作りあげて自分にも他人にもそう思い込ませる、あるいは見栄や虚勢などで自分のコンプレックスを覆い隠す、これらはみな自己防衛機制です。
人はいつかこれをほどかないと本当の幸せや本当の悦びは得られません。 人間関係や夫婦の間でもこの自己防衛が壁となり心のつながりをさまたげています。


あがり症もこの自己防衛機制と関係がありそうです。心の底に横たわる弱さ、孤独感、無力感にフタをし、何事もないかのような日常から人前に立つと決まった時、いつもの自分という仮面が取れ、自分でも恐れていた本当の自分が現われそうで、心がおびえる、これがあがり症の本体かも知れません。
普段から仮面をとるのです。自分の弱さ、傷つきやすさ、無力さをそのまま認めるのです。 自分自身をもあざむくのを止めるのです。あがり症は仮面の自分を捨て、本来の自分を見つめる絶好の機会かもしれません。



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