(7)私の「人生の探求」のはじまったきっかけ 〔2〕母の死、そして、うつ病発症
2011/08/11 13:01
こんにちは、やまがみてるおです。
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父の死をきっかけにして、
私は「自分とはなにか?」「人間とはなにか?」を探求しはじめました。
母も、私と同じようにこの葛藤(死を意識したときの人生の不安)に
苦しんでいたのだろうと思います。
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毎朝夕、仏壇に向かって般若心経を唱えて仏さまの供養を欠かしませんでしたが、
「お父さんが死んでから、いろいろ考えてなんかおかしなりそうや」と
話していたことがあります。
このころの私は自分のなかの葛藤に対峙するのが精いっぱいで、
母に対してどうしてあげることもできませんでした。
母は、父が死んだ五年後、進行性悪性胃がんのため、急逝しました。
(父のときの経験を生かして、このときには自分のできる範囲で
母を看取ることができましたので、その後、自分が自分を責めることは
それほど強くはありませんでした)
自律神経失調症の症状が数年つづいたあと、気分がまっ� �くすぐれず、
なにをする気にもなれず、うつ病を発症しました。
私は「なにかをやらなければならない」「生きる意味を見つけなければならない」と
急かされるように感じていました。
生きる意味を見失っていたのですから、当然かもしれません。
けれども最後には死がすべてを洗い流してしまうのですから、
生きることには幻滅していました。
自分が生まれてきた意味や理由を知りたいと感じ、必死にそれを探しました。
気分はすぐれず、自分を責めつづけながらも、さまざまなものに挑戦しました。
挑戦するしかなかったのです。自分の生きている意味を見つけるために。
生まれてきた意味とその理由を探す以外、
この滅入った気分から自分を救い出すことはできないと感じて� ��ました。
死が、すべてを洗い流すとはしても、生きている意味や価値を見つけ出す以外に、
克服する内気と他の
自分に対して、生きていてもいい、
生まれてきたことはまちがいではなかったと、
感じることができなかったからです。
両親との死別を経験して感じていた自分を責めるような切迫した観念は、
少しずつ少なくなっていきましたが、
完全に癒されたと言えるようになるには、20年近くの時間を必要としました。
長く、苦しい年月でした。
私は、自分を救うためには、なにかをしなければいけないと感じ、
自分のために研究して結論づけていたことを、論文にして発表しました。
たまたま出会った友人が教えてくれた心理学系の研究団体で、
発表の機会を得、人目に触れました。
このときの私が書いたことは、
自� �を救うために「自分の信じたいこと」であって、
「自分の信じていること」ではありませんでした。
かんたんにまとめると、以下のような内容です。
「人間とは、宇宙である。宇宙は永遠である。
したがって、人間とはその本質において永遠である」
けれども両親との死別を通して、私が感じていたことは、
「最後には死がすべてを洗い流してしまい、意味もすべて、なくなってしまう」だったのです。
それでも、そのままだと、生きてはいけません。
生きる意味がないのですから。
私は自分の「生きる意味」、「生きている意味」をなんとか探し出そうとして、
論文を書きはじめました。
「信じたいこと」であっても「信じることができていない」この矛盾は、
文章に現れて いたのかもしれません。
HOPE-麻痺の物語
発表後の反応から、批判、批評を感じることになり、
私はその世界から、すぐにしっぽを巻いて逃げ出すことになります。
私は、自分の「信じたいこと」を
(信じることはできていないけれども、信じる以外にはなかったため)、
さまざまな表現媒体を通して表現しつづけました。
小説にしたり、童話にしたり、絵本にしたり・・・。
―――が、心は完全には晴れませんでした。
それらの行動はすべて「信じたいこと」にすがっていただけだからです。
私は、その後「信じたかったこと」が「信じられるようになるまで」を経験することになります。
この過程で私は、人がどうして うつにな るのか、
うつは、いったいなにを教えているのかを、理解することになります。
私は人生の心の闇(うつ)がしだいに晴れていく意味を経験しました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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